エッセイ
チョン・キョンファのニューイヤー・コンサート
当日プログラム(表紙) かつて、その冴え渡る音色と歯切れの良い舞台パフォーマンスで聴衆を魅了し続けた韓国のヴァイオリニスト、チョン・キョンファのニューイヤー・コンサートが、1月5日、ソウルの世宗センター大ホールで行なわれました。曲目は、スコットランド幻想曲。ロマン派の情感あふれる演奏を真骨頂とする彼女らしい選曲です。指揮は実弟で、世界を股にかけて活躍するチョン・ミョンフン。今回は、コリアンパワーにあふれた現場からのレポートです。
《アジアの至宝》と呼称されるほど、1970年代、80年代に一世を風靡したチョン・キョンファは、7人兄弟の4番目で3女。ジュリアード音楽院で名教師イヴァン・ガラミアンに師事しました。67年の国際コンクールでピンカス・ズーカーマンと1位を分け合っています。80年代の来日公演での熱狂的な演奏には何度か駆けつけました。日本人演奏家にない、独特なパッションを小柄な体から迸るように放つ姿に魅了され続けたからです。終演後のサイン会に並び、当時愛用していたモトクロスタイプのブルーヘルメットを差し出した時のびっくりした表情と、「たくさんサインをしてきたけど、あなたのような人は初めて」と言いながら、ホワイトマジックでハングルと英語でサインしてくださったことは思い出の一つです。
当日プログラム(中面) その後の来日では、勤めていた会社の上司が通訳を(なぜか)していたこともあり、NHKのクラシック番組に出演する姿を茶の間で見たり、コンサート会場にまたまた同じヘルメットを持参して、終演後にご覧いただいた時のやはり驚いた表情は、印象的でした。「覚えてるわよ」とニヤッとされた愛らしさ。その間は優に5年以上あったはずですから、記憶力もさすがですが、さらに円熟味を増した演奏にもぞっこんでした。
それが、2012年、旅先のソウルで、その名前を見つけたのですから、感慨もひとしおです。ギリギリセーフでチケットを入手し、会場に入りました。3階席の一番奥からの舞台は豆粒のような小ささです。オーケストラはソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー)。モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲で軽やかにスタートし、2曲目に彼女が舞台に登場しました。生演奏を拝聴するのは、おそらく四半世紀ぶりくらいになります。弦楽器専門誌「サラサーテ」の取材などで、指揮者あるいはピアニストとして活躍するチョン・ミョンフンを通じて、お姉さんの話を聞いておりましたが、最近の動向はまったく伝わってきていませんでした。なんでも2010年にコンサート活動に復帰されたという情報もあります。
とはいえ、空白の期間を感じさせない、キョンファ独特の抑揚たっぷりの歌い上げ、がっちりとハートを掴む大きなパフォーマンス、その変わらぬ体型から紡ぎ出される音列は、ホール全体を大きく包み込み、豊穣の喜びを感じさせるのです。「スコットランド幻想曲」の曲が醸し出すドラマティックな世界も、それを後押しします。実弟との協演、しかも故郷での新年の演奏は、さらに彼女自身の喜びを倍加させたのでしょう。
それと、これは本当にびっくりしましたが、聴衆の「ウォー」という、動物的な雄叫びのような歓声は独特な雰囲気です。日本では体験したことのない、韓国の人々ならではの凄い反応です。家電も車も国力の伸びが顕著な韓国パワーの原点は、こうした感情表現の幅広さも関係しているのかもしれません。ソウルの地下鉄は、どのラインも携帯が使えるインフラがすでにできていますし、英語をネイティブのように使う市民も増えています。閉塞感の強い、いまどきの日本からの旅人には、ソフト面もハード面もあちこちでその国力の違いをまざまざと感じさせるのです。
本当に久しぶりに聴くことができたチョン・キョンファ。その磨き上げられた音色に、まだまだこの先を楽しませてくれる余裕すら感じさせました。